HEARTS/Double Bside

HEARTS
Double

Singalong

2018,04,12
Ash
「Goldfinger」

今回ご紹介するのは今回紹介する曲は、北アイルランド出身の3ピースバンドAshの1stアルバム1977収録の「Gold finger」です。

 

 
 
ちなみにアルバムタイトルの1977とはメンバーの生まれた年からとられたもので、1996年に発表した時のメンバーの年齢は19歳!
当時その完成度から、恐ろしい10代と言われました。

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このアルバムは個人的にすごく好きで、全英一位となったシングル「Oh Yeah」や、「Kung Fu」「Girl From Mars」「Angel Interceptor」といずれもヒットを記録した四枚のシングルを収録しています。
もちろんシングル曲も素晴らしく、捨て曲なしの十二曲で一気に聞けます。
彼らの代表曲「Girl From Mars」がヒットしてからすぐに、日本やオーストラリア、アメリカからもミュージシャンとして呼ばれることになりました。
19歳の少年達はこの急激な環境の変化な中、この「Gold Finger」を作り始めます。
Ashの中心でもあり、ボーカルのティムは、北アイルランドのベッドで二つくらいのコードをなんとなく書き、次は日本のホテル。
さらにアメリカのツアーバスの後部座席で出来上がり、スタジオで歌詞を乗せる。
この時は時間ができたら曲が次々と湧いてくる感覚だったんでしょう。
Ashといえば、ポップでパンキッシュで飛び跳ねるくらいキャッチーなのに、
この曲は今までのAshのサウンドとは違い、グランジに触発されたパンクバンドが初めて書いたミドルテンポの曲に仕上げました。
しかし、ボーカルのティムは、「Ashっぽくないし、これはB面曲だな」とこの曲が表に出ることはなかったのです。
この曲が表に出るきっかけになったのは、プロデューサーのオーウェン・モリスによるものでした。
1977年のレコーディング前に彼が北アイルランドに来てどんな曲のアイディアがあるか訊いて来ました。
オーウェン・モリスとはOASIS、The Verve,The Viewに関わる、いわゆる敏腕プロデューサーなのです。
しかしAshは、「Kung Fu」も「Girl From Mars」もリリースして、「Angel Interceptor」もレコーディングが終わっていました。
それでも彼は「他に無いのか?」と残り物をかき集めていました。
そこで、とうとうティムが「今作ってる曲があるけど、B面っぽいんだ」と「Gold Finger」を聴かせると、彼は興奮しながら「これが次のシングルだ!」と急遽、リリースすることになったのです。
若くして、大きな成功を手にした彼らは、
「ずっとやりたかった事がいきなり全部手に入ろうとしていて、でもその心の準備ができてなくて怖かった」
と後にティムはインタビューに答えています。
この高揚感や不安感、様々な心境が曲長にも表れている気がします。
これだけ完成度が高い曲ですが、タイトルの由来は、映画「007」で似たような曲があったとかで、意外にそのままリリースしたそう。
10代っぽいノリが残っているのに少しほっとしました。
ashといえば、ポップでパンキッシュなメロディーで、ガレージ臭漂うハードロックな曲もあれば、メロウで切ないバラードもあり、曲の豊富さも素晴らしいです。
特にこのティムの哀愁あるボーカルにメロウで切ない感じにどハマりしていたのを覚えています。
なぜ自分より年下の19歳の少年にこんな曲が書けるんだと、当時23、4だった僕は、本当に羨ましく思っていたのを覚えています。
羨ましく思っていたのは才能だけではありません。
その海外バンド特有のルックスにも憧れていました。

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この頃はUKロックの絶頂期だったのもあり、ファッション雑誌にもUKという文字がよく見られました。
普段から着古している様なよくわからないシャツに、しっとりとした柔らかい外国人風のクセ毛はそれはもうかっこよく見えました。
しかし、これを真似した原宿キッズ達はただ小汚くなり、頭はオイルとグリースでドロドロになっていたのは今となってはいい思い出です。
そんなUKにただ憧れて、ドロドロになっている僕に、Ashのライブに行くチャンスが現れました。
当時音楽好きの先輩の友人が海外アーティストが来日した際に通訳など案内役をされていると言う情報を聞き入れました。
しかも、Ashの来日の際にも案内しているそうで、今回は渋谷でのライブが行われるそう。
僕はすぐにチケットを入手してライブに行くことになりました。
当時の僕は、お金があれば、服かCDを買えるだけ買って貯金なんてありません。
僕にとって、チケット代は大きなものでした。
でも、どうにかお金を作り、毎日ポータブルプレーヤーでアルバムを聞き込んで、ライブ当日に備えていましたが、運命のイタズラとは本当にあるんですね。
ライブ当日、昼くらいから渋谷に向かおうとしていた僕に電話がかかってきました。
なんと明日の撮影のモデルさんが急遽キャンセルになったので代わりのモデルさんを探して欲しいと…
当時僕撮影のモデルさんとアポを取って撮影スケジュールを組む係をしていました。
この非常事態、撮影に穴を開けるわけにはいきません。
 
その日は代わりのモデルさんをひたすら探し、気が付けば夜…
僕はAshには会うことはできませんでした。
この日、涙で枕を濡らしたのは言うまでもありません。
 
今改めて聞いてみても、決して新しい感じではありませんが、当時はこの感じが最高にかっこ良かった。
様々な意見があるとは思いますが、時代が変わっても、これがashなんだと今も貫く心意気に、少し若い頃を思い出し、嬉しく思う今日この頃でした。

written by 中原章義