HEARTS/Double Bside

HEARTS
Double

Singalong

2016,11,05
Bob Dylan
「Blowin' in the Wind」

 

 

『アメリカの歌の伝統に新たな詩的表現を生み出した』として2016年のノーベル文学賞に選ばれ、今また「時の人」となった現在75歳のボブディラン。

これまでの長い音楽生活の中でも、グラミー賞やアカデミー賞といった数々の賞を受賞。2008年にはピューリッツァー賞という優れた報道や文学に贈られる賞も受賞しています。
今回は、ディランの言わずと知れた代表曲、1963年にリリースされた「風に吹かれて」をご紹介したいと思います。

 

 

世代を超えて様々なアーティストによりカバーされているこの楽曲ですが、当時この曲は黒人に対する差別の解消を訴えた公民権運動や、ベトナム戦争の反戦歌として若者達を中心に人気を集めました。同年夏のワシントン大行進では、「I have a dream」で有名なキング牧師の演説の後にもディランの「風に吹かれて」は歌われていて、いわば公民権運動のシンボルとも呼ばれていました。

How many roads must a man walk down

Before you call him a man?

《どれだけの道を歩けば、人として認められるの?》

 

言葉の壁がある分、和訳は様々ですが歌詞の冒頭部分は、こう歌われており黒人差別の解消を訴えているのは明らかです。

さらに。
この公民権運動を牽引したのは、意外にも黒人にルーツを持つソウルやブルースなどのブラックミュージックではなく、最初はフォークミュージックでした。
オデッタという黒人フォークシンガーが1865年の奴隷解放宣言の後につくられた「No More Auction Black」という黒人霊歌があります。この曲は「もう競売台に立たせないで」というショッキングなタイトルの通り、オデッタは黒人奴隷の悲しみや、自由を願う思いを歌っています。

 

聴いてもらうとわかると思いますが、どこかで耳覚えのあるこのメロディー。

そうです。
このオデッタの「No More Auction Black」のメロディーにディランが自作の詩をのせてを作った曲がこの「風に吹かれて」なのです。
ディランは「風に吹かれて」を作った際に『聞いてもらう為ではなく、歌われる為に作った』と話しており、ディランの思想を深読みすると黒人霊歌のメロディーにのせたというのには頷けます。

 

 

さらに、黒人ソウルシンガーのサムクックは、たまたまラジオで流れていたボブディランの「風に吹かれて」を聴いた際、

『この白人少年は僕ら(黒人)のために歌ってくれている。僕らもこういう歌を歌わなければいけない!』

と影響を受けて、名曲「A Change Is Gonna Come」を作ったそうです。

今でこそサムクックは人種平等社会を訴えた黒人ソウルシンガーの代表的なイメージがありますが、そのきっかけはボブディランの「風に吹かれて」だったのです。そしてサムクックも「風に吹かれて」をカバーしており〝歌われる為に作られた〟この曲は、ボブディランの思惑通りに様々なアーティストによりカバーされ、歌い継がれているのです。

 

 

この曲をリリースした当時、雑誌のインタビューでディランは、

「答えは本にも載ってないし、テレビや映画を見てもわからない。でもこれだけは言える。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違ってると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。」

と発言しています。

今でこそ発言の自由とすべての人類に平等が保障されていますが、この時代に白人であるディランが、こういったプロテストソングを世に発信するのには確固たる勇気と信念が必要でした。

しかもこの時ディランは齢21歳。

若さ故に出来たのかもしれませんが、誰にでも出来るような事では決してありません

 

 

さらに、ディランは音楽的、社会的貢献に加えて、カウンターカルチャーのファッションにも大きな影響を与えています。

労働者の為の作業着としてアメリカの南部で作られていたジーンズ。1950年代に入ってから若者達がファッションとして愛用し始めましたが、あくまでも普段着でした。当時ミュージシャンはステージ衣装で演奏するのが常識だったところ、ディランは日常履いてるジーンズのままステージに立ち、これが1960年当時は革命的なスタイルだったそうです。労働者が明日の労働に耐えれる以外に何の夢もなかったジーンズをロックや、カウンターカルチャーに欠かせないアイテムにしたのはボブディランであると言っても過言ではありません。

 

 

ミネソタ州の田舎街に生まれたボブ・ディラン。

幼い彼の心を初めて揺さぶったのはカントリーのレコードだったそう。10歳の頃に引越した家にギターと78回転のターンテーブルが残っていた事がきっかけで、彼は音楽にのめり込んでいったようです。
その後の彼の活躍といえ多くを語らずとも伝わると思いますが、キッカケはほんとに些細なこと、普段の日常の中にありました。

そして今回のノーベル賞受賞。

世間では偏屈なディランの事だから一時はノーベル文学賞を辞退するかもしれないとの憶測もされていましたが、無事に喜びのコメントが発表されてホッとする反面、一時期沈黙を貫いた理由にはなんとも謎が深まるばかり。
今も『ネバーエンディング・ツアー』と題したライブ活動を年間100公演も行っていディラン。
彼の心の奥底にある本当の想いは、誰の手も及ばないところにあるにかもしれません。